水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

男性だから男性的にふるまうべき?

男性とは女性とはなにか?

 f:id:SatoshiDate:20180806181230j:plainヘラクレス...

 

女性恐怖症といっても、僕が小さい頃は自分が、女の子だと勘違いしてる時もあった。よく大人が僕を女の子だと思って間違えた事が何度かある。性別というものは何なのか?なんで自分が女の子であってはいけないのかすごくふしぎにおもった。

肉体が違うから、と言われたけれど、全然納得がいかない。

 

なぜ女の子とあそんではいけないのか?

なぜ女の子の遊びをしてはいけないのか?

 

なぜ僕にはそういった権利がないのか全然わからなかった。

 

男というのは一体何なのか?男性はどういう風に振舞っていなければ男としていられないのか、考えていた。

 

中学から男子校に通う事になって、自分の体が男子であるために男でなければいけないという考えを教えつけられたからかもしれない。

だから本来なら

今の世の中的には、僕は女性に近い人間

であるのかもしれないけれど男性でなければいけない自分が、女子の中に囲まれことによって恐怖を感じるように、自分を無理やり作り上げたのかもしれない。

 

思いだしたけれど、最初の美術予備校に決めた理由は、通学路だったからだけではなかった。そこの予備校に決めたのは、先生の中に美しい大学院の講師がいたからだった。 

 

f:id:SatoshiDate:20180806183134j:plain

その先生はIngrid Chavezに似た人

 

なんと単純な! 

 

予備校の見学に行ったときに体験入学を希望したら、

職員室からインドネシア人のような、タイ人の様なエギゾチックな美しい女性が現れた。

 

小柄で、目がおおきく、顔が小さく、髪の色は真っ黒ですこしウェーブがかかっている。鼻は小さく、唇は小さいけれどエキゾチックに厚かった。 イヤリングをしていたかもしれない。

「じゃあ上に行きましょうか」

 

と案内されて、完全に受付の人だと思ったらなんだか態度が大きいと思ったら自分の先生でした。 こんな綺麗な人が先生していいのだろうか。

と先生は綺麗でいてはいけないかのように頭の中で、なんでこの人は受付の人ではないのかとぶつぶつつぶやいていた。

 

今思えば年上の女性に憧れる傾向が昔からあった。同い年と会う機会がなかったのもあったかもだが、物足りなさなのか、話せないからなのか。

 

美しいと感じたのは、男性としての自分が異性として感じたのか、女性の部分である自分が憧れで美しいと感じたのか、わからない。 

 

それは異性としてお付き合いをして初めてわかることかもしれない。いや、お付き合いしなくても長くそばにいれば、自分勝手な想像を消し去れば見えることなのかもしれない。

 

けれど、やっぱり、すべてを受け入れ(すくなくともその努力を1%はするだろう)、すべてを受け入れてもらうように、 犬がおなかをだして「すみません、服従します」というような姿勢で一個人として「付き合う」ということはいろいろな学びに、気付きにきっとなる。

 

そこまでまじめに皆が出来ていれば嬉しいことだが。

 

もしかしたら

異性同士で恋愛関係を持つとき、この自分の男性的部分と女性的部分が相手のそれとどういう風に一致するかによって、関係がうまくいったり、よくなくなったりするのかもしれない。